本研究計画に従い、後漢墓を中心とした出土文物の報告雑誌・報告書から、後漢時代に関する報告をすべてカ-ド化し、それに基づいて文献を収集し、それらを通読して一覧表を作成する、という作業を行った。実際に作業に着手してみると、その報告数が膨大で、現在『文物』・『考古』の両誌の整理を了えた段階で、約500もの報告を数えるに至った。恐らく地誌を含めると、六〜七百の報告、墓数にして千座位の数に達すると推算される。この整理から一覧表を作成し、その出土地点を当時の郡県地図におとしてみると、以下の知見が得られた。 1.発掘墓数からみると、首都洛陽の周辺、准水・長江下流域、長江中流域、四川盆地の諸郡と、遼東・南海の両郡が多い。従来文献的に考えられてきた当該時代の発展地域に入らない長江中流域(特に長沙・〓章両郡)や辺境の遼東・南海両郡に多く、発展地域たる山東に比較的少ないのは意外であるが、発掘工作の進展度とも関連しているのであろう。 2.中心地域と周辺地域の発掘墓分布からみると、前者では地域内に広範囲に分布しているのに対し、後者では郡治所の周囲にほぼ限定されている、という特徴がみられる。このことは、磚・石室墓の建造や豪華な副葬が可能な階層、当時の文献で豪族と呼ばれる階層の分布とほぼ対応しているとみられ、後者の地域での階層分化が進展していないことを推測できる。 3.文献史料では不明な、特に長江以南の地域において、副葬品の水準が相当高いものもあり、それらのより精細な検討から、当該地域の性格や中心地域とのつながりを明らかにする可能性が得られた。とりわけ、次の六朝期に多出する青瓷は、後漢中晩期墓からもかなり出土し、陶磁器生産技術や生産地、地域間流通の問題など、興味深い課題が新たに得られた。
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