本研究は、オランダ植民地支配下で農業植民地として社会経済構造を再編されてきたジャワが、世界恐慌による経済環境の変化の中で如何なる影響を蒙ったかを検討したものである。この際、最大の植民地産業であった糖業プランテ-ションの動向に注目し、それとのかかわりで農村社会経済構造の変化を中心的に扱った。ジャワ糖業は、1929年から本格化する世界市場の悪化のもとで、先ず販売組織の再編、経営の合理化などにより対応を図ったが、はかばかしい成果をあげることはできず、結局、1932/33年から大幅な栽培縮小を実施することになる。この結果、糖業地帯では大量の農民が糖業での労働機会を失ない、また、糖業の栽培用地として水田を貸し出していた農民は借地料収入を失なうことになった。こうしたことは、糖業に大きく依存してきた糖業地帯の農民経済に影響を及ぼし、現金不足の深刻化、現物経済への逆行などの現象が発生した。こうした中で注目されるのは、糖業側による借地契約破棄の動きに対して、農村有力者層を中心とした抵抗運動が見られることであり、それは、共同占有地帯であるスラバヤなどではデサ首長を中心としたデサぐるみの闘争の形をとり、個人占有地帯のブスキなどでは不在地主層を中心とした運動という形で現われた。それは、この層が糖業の栽培縮小により最も大きな打撃を受けたからである。こうして、糖業地帯では、それまで徐々に進行してきた農民層分解が全体としてペ-スダウンする傾向が出てきたと考えられる。今後、この点を更に詳細に明らかにするためには、恐慌期に拡大した米作、大豆作を中心とする住民農業の経営の特質、農外産業の役割の検討、非糖業地帯の状況との比較検討などが必要である。
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