「宗教改革運動は都市的運動であった」といわれ、都市における宗教改革研究は大きな進展を見ている。では、農村は宗教改革運動から取り残されたのであろうか。都市に宗教改革運動が展開した時期に農村でも農民は運動を起こしていたが、十六世紀のこうした農村の動きはこれまで農民蜂起・農民戦争として捉えられ、それを農村の宗教改革と位置付けることはなされていなかった。しかし、スイスにおける宗教改革運動の展開は、まず都市から都市へ伝播・浸透し、ついで農村へと展開したと考えられる。 農村への宗教改革運動の展開はどのようになされたのであろうか。この点を究明するには、農村の政治・経済、さらには農民の日常生活の実態や農民の意識構造などをを明らかにする必要がある。これらの点については、チュ-リヒ湖畔のゲマインデ・シュテ-ファを取り上げ具体的に究明をした。 次に、宗教改革の年想が具体的に農村に伝播・浸透する手段・方法の観点から考察を進め、当時流行した木版画に特に着目する必要を見いだした。当時の農民一般の識字率は都市の場合に比べきわめて低く、単純に書籍による思想の伝播は考えられない。重要な役割を果たしたのは一枚刷りの木版画あるいは数枚綴じの木版画入りパンフレットであったと考えられる。具体的な考察例としてには、1521年春、スイスのチュ-リヒにおいて出版された「神の水車」と呼ばれる木版画入りパンフレットを取り上げた。 今後の展望としては、こうしたパンフレットや一枚刷りの木版画を実際に利用して、宗教改革の思想を農村に伝えたいわゆる俗人信徒のリ-ダ-たる説教師の存在や、彼らの行動・思想を含めた幅広い宗教改革史研究が必要であると考えられる。
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