ヨ-ロッパ文化圏の形成は、ギリシャ・ロ-マ古代の社会的文化的遺産、キリスト教、住民のあいだの生活文化、とりわけゲルマン諸部族の産業・経営形態・土俗的民間信仰、およびフランク国家社会の形成などの諸要素の交流・融合を内包し、中世初期以来、ヨ-ロッパキリスト教文化圏の形成として始った、とみられる。本研究の目的を、ゲルマン諸部族がどのような伝統を保持しつつ、社会的文化的発達を遂げ、ロ-マの影響を受け、またその遺産を継承して、どのようにヨ-ロッパ文化圏の発展の緒についたか、その文化圏・世界の形成過程の解明と特質の把握に置いた。 全体としてのまとめとして、1.ゲルマン諸部族の定住実態の地域的時期的発達。2.諸部族法典の成文化自体、部族内の高貴で卓越した有力者・王の登場と、様式・内容にロ-マ的教養を持つ貴族・聖職者の介在を要しており、一方で民衆法を保持し、他方で社会経済的規定を受けた内容であること。3.フランク王国の発達とキリスト教の伝播、教会・修道院建設、さらにこれらと村落・荘園の発達過程との関わり。4.住民のあいだの土俗的民間信仰、キリスト教の霊魂救済と寄進。5.クロ-ヴィスのキリスト教への改宗、カ-ル大帝の教会建設、同帝の西ロ-マ皇帝載冠などを通したキリスト教との結合。6.カ-ル大帝の発布した勅令・法典の適用地域と内容の検討から、『ザクセン地域に関する勅令』は、適用地域の人びとの異教への復帰、国王・教会に対する民衆の攻撃を厳しく罰するものであったこと。次に出された『ザクセン宛ての勅令』は、先の勅令の苛酷さを緩和しつつ、各地の民衆裁判人を裁判に協力させ、大帝がア-ヘン帝国会議を開催して発布した『レ-クス・サクソヌム』では、ザクセン古来の法を集録しつつ、再興された西ロ-マ帝国の統治を実現しようとするものであった。以上の成果を公表した。
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