研究概要 |
東欧からの季節的農業労働力の移入と雇用の実態を、従来の先行研究とは違って、出稼をする側の利害関心や行動形態という観点から、ドイツ東部・中部における当時の調査研究に依拠しながら検討・考察した。「プロイセン渡り」じたいが出稼をする側の主体的な一つの選択であったという現実が、ここでは重視されている。差当り次のような結論をえた。(1)「プロイセン渡り」の出稼先を甜菜栽培の集約的大農場に限定してみてきた通説は、事実の一面しか説明しない。出稼先の選択に際して規定的な意味をもったのは、根菜栽培面積のほか、穀作面積と全体としての経営規模である。それらの諸条件は一般に長い雇用期間(8〜11ヵ月)と豊富な出来高払い労働を提供する。現金収入の確保、現金による最高の稼得賃金をめざす「プロイセン渡り」にとって、上の条件を備えた大農場こそ出稼先とするに最もふさわしいかったのである。但しそうした農場労働に習熟するには、数年の「プロイセン渡り」の経験を要したと思われる。(2)出稼は血縁・地縁・知己をベ-スとする集団的な形態をとるのが普通であった。雇う側の人数・構成に関する要請と必ずしも一致せぬため、契約時に出稼集団とトラヴルが頻発し,結果的に農民経営は季節労働力の確保に難渋した。集団を引率する組頭(Vorarbeiter)は、労働者の利益代弁と同時に、農場側の労務管理の末端を担った。彼らにも組集団内の者と外の者の二類型が摘出でき,その役割にも一定の相達が認められる。(3)「プロイセン渡り」は汚くてきつい集団的請負労働に主として従事し,地元農業労働者との間に一種の分業体制をつくり出した。集約型農場は労働力需要の季節差と同時に、冬季作業の量的増大をもたらし、通説に反して地元労働者の定着化を促す。外国人労働者による「駆逐」というヴェ-バ-・テ-ゼは訂正が必要である。農場での地元民と外国人との競合は、いわれるほど単純ではない。
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