二〇世紀初頭のドイツは、アメリカ合衆国に次ぐ「世界第二の労働輸入国」であった。とくに東欧からは年間30万人以上の季節労働者がドイツ中・東部の農業に移入し、少なくとも全農業労働力の15%をしめた。 この外国人労働者の移入に関する統計資料の収集・整理は必ずしも十分とはいえず、その点でK.J.Badeの先行研究は貴重である。しかし彼の場合も、デ-タ収集に遺漏があり、その分析にも基本的な誤りがあることが本研究の過程で判明した。その詳細は論文「帝政期ドイツの外国人労働者統計について」としてまとめた。とくに『身分証明書統計』と『郡長報告』との相互補完的な活用の必要性、さらに当時の各地の農業労労働者実態調査の結果を参照することの有効性が結論された。 外国人農業労働者の雇用実態は従来の研究ではほとんど解明されていない。東欧からの「プロイセン渡り」についてその出稼の全過程を跡付けたのが論文「『プロイセン渡り』の季節労働者について(上)(下)」(下は予定)である。そこでは季節労働者側の主体的な条件に即して出稼移動の実態(移動ル-ト、集団出稼形態、雇用=労働関係、出稼生活関係、出稼の収支)が論じられた。その結果、彼らが単に「安価で従順な労働力」として専ら「虐げられ、搾された」存在ではなかったことが明らかにされ、その実像に迫る手がかりが掴めたと思われる。 外国人雇用がドイツの農業労働市場に及ぼした影響として、M.Weber以来の「駆逐説」が有名である。しかし当時の実態調査のデ-タによる限り、それは支持しがたい。「プロイセン渡り」が地元労働者の雇用機会を奪って就労したという証拠はない。外国人労働者の導入を促す農業経営の集約化は、同時に地元労働者の定着化を促す条件を備えていたからである。以上の点は『研究成果報告書』で具体的に論じた。
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