須佐益田家は中世において大内家と関わりを持ち、近世においては毛利家の永代家老として活躍したことにより、その所蔵典籍は約400年間に渡っている。本研究は須佐益田家の地域文化における位置を究明するための基礎作業として調査研究及びその所蔵古典籍の目録作成によって貢献しようとするものである。 現在、益田家の所蔵古典籍は山口県阿武郡須佐町にある。須佐町は山陰地方にあり中央からの交通も不便なこともあって今迄その実態はほとんどあきらかにされることがなかった。1950年に東京大学と山口県教育委員会が文書を中心に調査を行ったが古典籍に対しては未調査のまま設置されていた。研究は所蔵されている蔵の清掃から着手しなければならなかった。 初年度の6月の第1回の調査においては予備調査と清掃を行った。9月の第2回調査は蔵内の整理を行ない概略的な分類を行った。第3回の12月の調査から書誌カ-ドを取り始めた。二年度はカ-ドのうち特に文芸関係の調査を行ない、9月の調査においてこれをほぼ完成させた。11月の調査では明治初年のものの調査と点検作業を行った。 以上の調査点数は956点である。漢籍等の藩技(育英館)教科書の多いこと等他の地方名家と類似した点も多いが、益田家における所蔵典籍の最大の特長は文芸殊に和歌及び連歌関係の写本の多い点である。然もその多くが中世以来のものである点は特筆されよう。従来の文学史が中世と近世とによって断絶した形で語られる点が多かったが、益田家の文芸活動か大内家から毛利家と継続して成されていることは、この事に新しい視点を与えるものである。地域文芸活動が従来の文学史区分では到底割り切れるものではないことも、今回の調査は実証的に説明しうるものである。
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