本研究の目的は、先秦時代より清朝末期に至る間の、中国人著述・研究者による、自国語(the chinese language)についての撰著等を整理・考察し、そこに反映する彼等の思索・言語観および研究活動の展開を明らかにし、終極的には学術史としての中国語学史を構築することにある。本研究代表者は所期の目的を達成するために、本研究に利用し得る各種資料を捜索収集し、それ等の整理・カ-ド化を行い、その結果として、単なる文献名の羅列ではなく、中国人の言語観・研究活動が俯観できる様に配慮した関係文献目録を作成した。上述の作業を通じて得られた知見の概要は以下の如くである:具象的知覚を重視し、抽象的思惟の未発達なども指摘される中国人であるが、周秦時代の荀子や孔子等に於ては古代ギリシャに於けるテセイ説的立場、或はビュセイ説的観念を内包していると解される様な言語意識も指摘できるのであり、また墨子の「名」と「実」の概念は、ソシュ-ルのsignifiant(能記)とsignifie(所記)の概念に極似していることも注意に値する。しかしながら、この様な言語に関する抽象的思惟は継承的な発展を遂に見せることなく、両漢時代以降は専ら漢字の形・音・義に関心が集中し、清朝に至り、章太炎・黄侃等の所謂「章黄之学」の誕生まで見るべき業績は挙げられなかった。それは、『説文解字』序の「蓋文字者、経芸之本、王政之始」なる文が象徴的に示す様に、漢代に至って漢字は学問・政治の根本たる地位を占める様になったからであり、一方、彼等の言語を表記するための文字である漢字が表語文字という性格を持っていることに従って、彼等の言語的関心は専ら漢字の形・音・義に集中したことにより、その結果として、中国に於ける言語研究は他国とは様相を極めて異にする、独特な展開を遂げることになったと推測できるのである。今後は上述の知見を拠り所の一つとして、学術史としての中国語学史の構築を目指す所存である。
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