研究概要 |
《リルケとカフカ》という研究課題の枠内で、前年研究調書で約定した二篇の論文を上廻って、四篇の論文で研究を遂行した。《リルケとカフカIII》では、ポリツァ-.スタ-ン等の両者の比較史を総括しながら、リルケの「言葉は単なる壁にすぎない」という言語認識が、メ-テルリンクの『貪者の宝』のエマ-ソンの章の言語論に、またカフカの言語危機はニ-チェに影響を受けていることを立証した。さらに《プラハ・ドイツ語論争I・II》の二篇の論文では、リルケとカフカが生まれそだったプラハに於けるドイツ語の複雑な諸相を、百枚にわたって分析した。ヴァ-ゲンバッハのカフカ伝(1958)でのプラハ・ドイツ語の分析(チェコ語に汚染されたスラングとしての性格づけ)を廻って、片やマックス・ブロ-トやウルツィディルなどの文学者からの批判(プラハ・ドイツ語は純正だった)とチェコ人の言語学者(トロ-スト.スカラ,ホヴェイシル)のプラハ・ドイツ語の特性はチェコ語の影響ではなく、バイエルン・オ-ストリ-方言の現われとする批判を中心に、シュライヒャ-(1851)以来の歴史的文献を三十篇集め、これだけ総合的にプラハ・ドイツ語の問題を徹底して総括したのは、本論文が世界で初めてである。第四の《Rilke und Bergson》というドイツ語の論文は、リルケの世界内面空間の思想(時間が経過として知覚されるのは意識の先(尖)端でだけで、意識の基底部にはすべては経過することなく、蓄積される)は、ベルクソンの『物質と記憶』をル-・アンドレ-アス・ザロメから借りて1914年6月に読み、その影響下に成立したことを立証した論文である。その論文は、リルケとカフカの思想を総合的に比較する上での不可欠の布石であり、表題からは研究課題の枠外にあるようにみえるかもしれないが、思想上の連関からいえば密接なつながりがある。(これも世界ではじめて、です)
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