17世紀から18世紀にかけての近代立憲主義の成立は、国民の代表から構成された議会(Parliament)を主権的(イギリスのいわゆる議会主権)機関とし、執行府を監督するあり方、すなわち大臣責任制の原理を生み出したのだった。執行府はやがて内閣という機構に歴史的に収斂していったが、本研究では、近代憲法にとって欠くことのできない機関がどのように成立し、そして内閣をコントロ-ルする機能をはたすべく大臣責任制の原理がどういう仮定で形つくられてきたのか、について内閣制度発生の母国である近代イギリスを対象として検討しした。この研究は、内閣制度の成立過程のメカニズムを歴史的に実証・検討することによって、市民革命期の政府の機能の萌芽的な形態を明らかにすることができた。本研究では、現代の内閣の機能の全面的な展開のいわば原点を明かにしようとした。そして、そこで生まれた行政機構が近代のイギリスのいわゆる行政国家現象をになっていくことになるであろう。その分析については、なお課題がのこされている。さらに、イギリスの内閣制度を継受した我が国の制度の比較法上の特殊性と共通性を析出するモデル像を探索してみたい。 研究作業として、今年度は1649年から1660年までの共和制期(Commonwealth)に重点を置いて、実証研究を行った。まず、この時期には現在の内閣のいわば原型である議会委員会が執行府として活動をはじめているので、その活動について、昨年の科学研究費補助交付金によって購入した資料、とくに『空位期の法律と命令』や当時の議会の議事録・政府刊行物などの第1次史料を読み・分析し、「イギリス共和制期の政府・議会についての関係年表」の作成・これまでの研究の成果のまとめにとりくんだ。
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