第二次大戦前には、下請制生産ネットワ-クは、まだ未発達であった、この事実は、戦後(とりわけ1950年代後半以降)におけるその飛躍的発展とは著しい対照をなす。もちろん機械工業を中心に中小工業の発達はみられたけれども、その生産技術水準は一般に低かったから、アメリカ式製造法(the American Method of Manufacturing)を採択にするに必要な標準的均質部品を安定的に供給できる下請部品メ-カ-の数は知れたものであった。 このようにネットワ-クが未発達な状況を調査するのは、戦後の事情を一層明瞭にするため、また現代低開発諸国の実状と比較検討するうえで意味のある作業である。そこで本年度は、1920年代以降わが国で自動車の製造に携わった米国企業(とりわけ日本フォ-ド)の部品購買政策を調査した。さらにこれに付随して、個別私的企業による政府の機械工業国産化政策に対する対応とその推移とを検討した。 わが国の機械工業、とくに自動車工業が完全国産化を目指して1930年代終りに外国企業を追放したのは、生産技術的にみれば時期尚早だったと考えられる。とすれば、どの時点で技術的・経済的独立が確立したかを確定する必要が生ずる。そこで、戦前・戦後を通じてわが国で部品製作に携わる代表的企業の歴史的経験を探り、これを問題に整理した。この結果は、遠からず一橋大学経済研究所ディスカッション・ペ-パ-・シリ-ズにまとめる予定である。 翻って現代の東南アジアを観察すると、機械部品供給工業(とりわけ現地資本)の発達は、その試みが開始されて30年前後を経た現在でもいまだしの感がある。個別企業の史的経験に照らして判断すれば、その理由は、市場規模、生産技術の不備、人的資源(とくに経営・技術資源)の不足に求められる。この結論に至った経緯は、日本についてと同じくケ-ス・スタディ-の形で、一橋大学経済研究所ディスカッション・ペ-パ-・シリ-ズに収録する予定である。
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