日本の技術史・技術思想の中で海軍工廠の果した役割をどう評価するのかが本研究の課題であった。軍事技術は当事者の「質」への拘泥に拘らず、その質が容易に定量化出来るところに最大の特徴があった。そのことが当事者のみならず日本の技術開発のあり方を時として視野狭窄に陥入らせることになった。また海軍技術は、技術の直接的担い手となった造船官、技師、技手等の性格によってと云うよりは、用兵側の要求と理解度によって大く規制されていた。また研究史上、造船船殻技術についての研究は比較的に容易であるが、造機・造兵関係の研究は難しく、そのことが実は日本の技術開発のアンバランスな性格と係わっていることも明らかとなってきた。研究領域としては膨大なものとなることが分ってきたため、研究整理にあたっては技手養成所の修了者と、海軍造船官を中心に追究していくことに力点をおいて作業を進めた。その中で、技手養成所は、研究史上で指摘されてきた通説的理解とは異り、単に中堅層の養成機関だったのではなく、甚だ日本的な内部登用システムとなっていたし、海軍工廠の急拡大過程こそは、固有の特性の曖昧化していく過程だった事が分った。海軍造船官についての研究においては、用兵上の要求と技術開発の接点での直接的担い手として特徴的事実が明らかに出来てきたが、漸時に造兵・造機部門との関係が弱くなり、そのことが技術開発上の隘路を齊らし、ひいては技術の体系にアンバランスを惹起した事に注目してきた。日本の技術史上の基本性格とも言える技術開発のグランド・デザイン力の弱さが本課題でも明らかとなってきたが、やや批判的にかっての日本人の努力のあとを再検討したいと考えている筆者と、関係者の内部批判を好まない関係各位の一貫した態度との調整が手間どり、事前の各位との約束もあって成果の公表にはあと暫く時間を戴きたい。
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