倭館における交易市場の実態を究明するため、必要と思われる史料の調査・収集をおこなった。量的に最も多いのは、対馬厳原町の歴史民俗資料館の『宗家記録』で、勘定関係記録(41冊)、幕府からの貿易資金援助金ともいうべき御廻銀記録(20冊)、銀山記録(14冊)、倭館役人関係記録(45冊)をマイクロフィルム撮影による複写をおこなった。さらに対馬では、朝鮮語通詞で貿易商人でもあった小田家文書、同じく貿易商人の橋辺家文書などの個人の伝領文書の調査・収集もおこなった。倭館記録のまとまったものとしては、国立国会図書館の館守『毎日記』があり、これは96冊の複写を完了させた。収集史料のリ-ダ-・プリンタ-による焼付およびファイルの製本作業は、現在のところ七割方完了し、これと並行して、整理・分析作業をすすめている。 本年度とくに注目しているのは、倭館交易市場の構成員とその活動実態を探るため、朝鮮語通詞の就任と業務内容を観察することにある。そこで一つの事例として、寛延4年(1751)〜文政8年(1825)の75年間にわたる通訳一覧を作成し、合計211名の通詞の氏名、身分、業務内容などを整理した。その結果、対馬藩は少なくても22名、多くて50名近い通詞を常時召し抱え、交代で倭館における外交や貿易業務をとりおこなわせている。かれらのほとんどは、対馬の貿易特権商人「六十人」の家の出で、わけても小田・住永・吉松・服部・朝野などの家は、通訳活動を中世末から秀吉の文禄・慶長の役(1592-98年)ごろまでさかのぼって確認することができる。とくに小田家は、幾五郎が安永3年(1774)〜文政5年(1822)までの長期にわたる通訳活動をおこない、そこで体験したことがらをいくつかの記録類にまとめている。藩側の記録類と対象させながら、倭館内部の構造、朝鮮側構成員との交易の詳細などを現在検討している。
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