「租税国家」は、収入実体が租税からなっていること、租税の賦課にたいして議会が承認権をもっていること、この二点をその特徴としている。議会主権はブルジョア革命によって確立するが、租税が国家の収入実体をなすのは絶対主義の成立以来のことである。徴税という公的業務を民間の商人に委託する徴税請負制は、収入実体が租税からなっておりながらいまだ議会主権が確立していない絶対主義国家を最良の活動基盤としていた。イギリスのばあい1660年の王政復古から1688年の名誉革命までの期間に、徴税請負制は最もよく展開された。国王の封建的・大権的収入はピュ-リタン革命によって完全に消滅してしまったため、関税・消費税・炉税の三つの間接税が経常的収入をなした。この三つの間接税収入は「国王自活原則」のもとにおかれ議会のコントロ-ルを越えるものであった。議会のコントロ-ルを越える三つの間接税の徴収が民間の商人に徴税権貸与料=レントと引き換えに委託された。徴税請負人はみずから効率的で集権的な徴税機関を整えてレント分はもちろんそれを越える「余剰」分をも徴収してそれをみずからの利潤とした。さらに請負人は契約時にみずからが徴収する租税担保の多額の政府貸付を行った。効率的な徴税のための官僚機構を整えたことと、租税担保の公信用を提供したこと、この二点が徴税請負制の果たした歴史的任務であった。イギリスのばあい名誉革命の前に請負制は全て廃止され直接的徴収制に転換されたが、革命後、効率的徴税機構と公信用という請負制が残した成果は確立した議会主権のもとで遺産として継承されていった。
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