研究概要 |
研究対象地は三重県内にあるが、大阪湾に流れる淀川水系に属する。現在の森林面積は約42千ha,県の森林面積の11%に当たり、人工林率は56%に達している。8世紀のなかごろに東大寺、大安寺の杣山が設けられ、9世紀初頭には既に大仙殿修理用材が切り出され木津川泉津まで流送されている。この事実から、林業先進地といわれる三重県内にあって、最も先進的な林業地帯であろうと予測して研究に着手した。しかし、過去2年間の研究により、予見に反して当地はむしろ後発ないし中発の林業地に類別されるべきであるとの結論に達した。 その概略を記すと、●745年(天平17) 伊賀国真木山に火事あり、三四日衰えず延焼数百町歩とあり、当時はうっそうとした森林におおわれていた。●801年(延暦20) 大仏殿修理用材を求めて伊賀山に入るとあり、森林の伐採利用が始まるが跡地の更新は自然の推移にまかされた。●16世紀にはいると戦国の兵乱により森林保護の観念はうすれ、荒廃は急速に進む。●1584年(大正12) 豊臣秀吉は伊賀材を奈良で買い取ることを禁じ、1608年(慶長13) 津藩に移封された藤堂高虎は国防上の安全のため、河川の開削、峠道の改修を禁じた。商品としての木材生産林業は低迷する。●1660年(万治3)以降 淀川・大和川洪水防止のため、幕府は樹根の採掘禁止と年々松を植え仕立てることをしばしば布令している。現代に至るまで治山が当地の主要な命題となる。●1932年(昭和7) 当地域からの木材生産量は124千石で、三重県総生産量の11%に当たる。森林の面積割合と同率であるから、当地が特に高い土地生産性をもつとはいえない。 来年度は、これらの成果を報告書にとりまとめ公刊する計画である。
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