我々は抗利尿ホルモン(ADH)を使用することにより、脳死症例を安定した状態で長期間維持することに成功し、脳死後の病態を詳細に検討することが可能となった。その結果、脳死判定基準を完全に満たしていたにもかかわらず、(1)脳死後数日以上経過しても視床下部ホルモンが高頻度に検出される(2)疼痛刺激などに対する体動や異常な自発運動が起こると言う二つの重大な事実が認められた。これらの事実は脳死の定義をその字義通り「全脳の機能の不可逆的停止」とするならば、これに矛盾する可能性がある。我々の研究目的は以上の二つの事実に対し、真相を明らかにすることである。 その結果(1)20例の脳死症例において視床下部下垂体ホルモンの基礎値測定を行ない、CRHは1例を除き全例に、GRHは半数以上の症例に、LHーRHは全症例に各々最長17日目まで検出可能であった。しかし、その由来については視床下部以外である可能性が強い。また、5例に行ったインスリン投与によるCRH、ACTH及びコルチゾ-ル分泌刺激試験では、何れも無反応であった。同時に行ったHGH分泌刺激試験も同様に無反応であり、これらの結果は低血糖刺激に対する視床下部反応の残存を否定し、全脳死の概念と矛盾はしないことが明かとなった。(2)脊髄反射は、脳死直後の一時的な減弱ののち再び頻繁に観察されることが明かとなった。ことに長期にわたって循環を維持すると、脳死後5〜10日頃にかけてmonosynapticreflexであるmuscle stretch reflexばかりでなく、extensionーpronaーtion reflex、planter withdrawal reflex、tonic neck reflexといった複雑な脊髄反射も高率に観察された。脳死後に行われた脊髄の解剖所見は、症例によりレベルは異なるものの上位頸髄より下行性に壊死がみられたが、残存した脊髄由来の自動運動や反射運動が見られることと矛盾しなかった。
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