赤石山地及びその外延山地の一帯は、かつてはわが国有数の焼畑地帯であったが、それらはほぼ昭和30年代までに衰滅し、当時の焼畑の実体やその文化はすでに現地でも十分には分からなくなっている。そこでこれらの地域での焼畑やそれに関連する問題について究明を試みんとするのが、本研究の主目的である。本年度は昨年度に引き続き主に以下の様な調査・研究を行い、それぞれに新たな成果・知見をえたし、また一部はその途次にある。 1.伊豆半島の東海岸山地では、現在もなお「生き続けている」焼畑の極めて貴重な例として、キヌサヤ豌豆の焼畑裁培を追い求め、その分布、裁培条件・裁培方法の特色、焼畑の方法及びその変化、さらにはそれが現在まで残存しえている理由などについて研究を行った。その結果、ここでは現在、輪作体系そのものが消滅したことのほか、火入れでは従来の「全面焼き」から「パッチ焼き」へ、さらには「焼かない焼畑」へと変化しつつあって、焼畑そのものが大きな変質を遂げつつあることなどを明らかにした。それらの成果については地理科学学会で発表すると共に、静岡大学の紀要その他にも発表した。 2.大井川及び天竜川源・上流域でのかつての焼畑についとは、昨年度に引き続き高位緩斜面との関係を調査すると共に、長野県・大鹿村でのかつての焼畑やその文化、それと高位集落との関係などについて調査を進め、それらと静岡県・水窪町との比較研究を行いつつある。 3.調査記録の上では現れにくいが、本年度は平野に接したいわゆる里山での焼畑の例として、静岡市北郊の竜爪山地域をとりあげ、この山での近用以降の激しい秩場争論と焼畑について調査を進めている。なおこれについては来年度学会で発表の予定である。
|