研究概要 |
研究者は、赤石山地およびその外延地域の中から数箇所を選び、それぞれの地の焼畑について、各種史資料の分析と現地調査とによって、この地域全体の焼畑の実体およびその特色を明らかにすることを目的とした。 本研究は、平成元ー3年度にわたって行われたものであるが、そのうち初年度は赤石山地内の高位緩斜面とかつての焼畑との関係の究明を重点的に行った。その結果、赤石山地には高位緩斜面が3つの地帯に集中的に分布すること、焼畑はそのうち海抜1,500m以下の緩斜面で行われていたこと、いっぽう緩斜面が近くに存在しない井川・田代などでは、焼畑は大規模な出作りの形で行われていたこと、などを明らかにした。第2年次目は、日本における現役の焼畑としては殆ど唯一とも言える、伊豆半島・東海岸山地のキヌサヤ豌豆の焼畑栽培を重点的にとりあげ、その分布、栽培条件、栽培方法、さらにはそれが現在まで残存しえている理由などについて調査・分析を行った。その結果、ここでは現在、焼畑の輪作体系そのものが消滅していること、火入れに関しては従来の「全面焼き』から「バッチ焼き」へと質的変化を遂げつつあること、などを明らかにした。第3年次目は、静岡市北郊の竜爪山地域について重点的な調査・研究を行った。竜爪山中では山元の3ケ村とその前面平野の入郷39ケ村との間で、この山中の御林と秣場、焼畑地をめぐって、江戸の元禄年間から明治期にいたるまで激しい争論が繰り返されてきたが、研究者は各種の史資料の検討と現地調査とによって、ここでの秣場争論の推移と秣場・焼畑地の分布やその変化を明らかにすると共に、そこにはすでに早い時期に毒荏桐・三椏などの近世的な商品作物が入り込んでいたこと、明治以降はそれらからいち早く茶・みかんなどの近代的な商品作物へ切り替えが進んだこと、およびその理由などについて究明した。なおそれらについては、学会および紀要等に発表した。
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