以下の諸点が明らかになった。 1.瀬戸大橋架橋は、まず観光に顕著なインパクトを与えたが、新しく登場した大規模観光資源の通例に漏れず、架橋2年目以降、観光客入り込み数は大きく減少したものの、なお架橋以前に比べるなら多くの観光客が訪れ、架橋の効果を「定着」させたといえる。その「定着した」影響圏域は、旅行業者のパック旅行の設定の仕方ともあいまって、南は徳島県西祖谷村あたりまで、西は松山市の道後温泉あたりまでである。 2.瀬戸大橋を通るトラックの台数は、やや増加しているものの、陸運業者を対象とする調査によれば、本州四国間の輸送の圧倒的部分は、今なおフェリ-に依存しており、その意味で、物流に対する架橋のインパクトはやはりそんなに大きくないことが確かめられた。また、その影響圏域も、岡山・香川両県の一部に限られる。 3.主としてJR瀬戸大橋線によるビジネス流動が増え、それに伴って、中枢管理機能の再編が進行しているようにみうけられる。ただしそこにみられるのは、地元自治体が期待していたのとは反対に、たとえば大阪の本社あるいは、基幹的支社から列車で高松への日帰り出張が用意になったという理由で高松支社が廃止されるというような事態であり、地元都市の管理機能の強まりよりはむしろ弱体化である。 4.工業は中国・四国地方でも盛んになっており、工場の新規立地もみられ、それらの工場の中には、立地の理由の1つとして、架橋の実現を挙げるものも少なくないが、実際に原料や製品の輸送に大橋をよく利用しているわけではない。工業の盛況は、基本的に好景気によるものであって、そこに架橋が寄与しているとは考えられない。また農業の主産地形成・変動などに橋が寄与している事例も今のところ認められない。
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