以下の諸点が明らかになった。 1.瀬戸大橋をわたる自動車のなかで開通当初とくに少なかったトラックが、その後著しく増加し、かつて本四間物流の動脈があった宇野ー高松フェリ-のトラック航送台数に匹敵する数に達している。このトラック橋上通行量の著増には、1990年度実施の料金割引制度もかなり大きく寄与しているものと考えられる。昨年度報告書の「物流に対する架橋のインパクトはそんなに大きくない」という評価には再検討を加える必要がある。 2.広島・岡山・高松、とくに後二者の中枢管理機能、あるいは「支店経済」機能が架橋によって少なからぬ影響を受けつつあることは、昨年度の研究によってもおぼろげながら認められたが、今年度はそのことを明瞭に認識することができた。広島・高松に比べて「支店経済」機能の弱かった岡山でその強化がみられる一方、高松では、支店の進出と撤退が同時進行するなど、四国の中枢管理都市としての機能の再編が進んでいる。そのなかで高松ー坂出ー丸亀を包括する広域都市圏が形成され、ここに例えば「中央」の大新聞社が「現地」印刷工場を設置してそこから新聞を瀬戸大橋経由で山陽地方一帯に配送するというような体制をつくるなど、「中央」主導の広域経済圏・広域情報圏づくり、都市間関係の再編が進められつつある。 3.四国の工業立地は、瀬戸大橋につながる高速道路及びその予定路線沿いの地域に展開しつつある。しかし新規立地の中身をにみると地価の上がった高松などからの脱出・移転にすぎない場合も多く、「瀬戸大橋のお陰で工業活性化が進んだ」というように評価できるものでは必ずしもない。 4.瀬戸大橋経由による生鮮農産物の輸送が行われるようになったが、産地振興には結びついていない。
|