初年度における弓が浜半島、出雲平野の調査に引き続き、島根県江津平野と、岡山県倉敷・水島平野の調査・分析を行った。江津平野は、江川河口の東西に延びる細長い海岸平野で、とくに西側の平野は、主に浜堤と堤間低地よりなり、砂丘は発達していない。浜堤部分の三ケ所における地表下11mまでの試錐で得た1m毎の堆積物の粒度分析、鉱物組成分析の結果をみると、地表下10m付近までの堆積物は、その下の堆積物よりも、際だって花崗岩類に由来する岩片や鉱物に富み、同時に鑢製鉄の廃棄物である鉄滓粒が、堆積物1万粒中に数粒から数十粒の割合で含まれる。これらの事実は、近世初頭に始まったとされる江川流域の砂鉄採取のための鉄穴流しによる廃土流出が、江津平野の最も新しい時期の発達に大きく影響していることを示す。 一方、高梁川の下流域にあたる倉敷・水島の沖積平野は、近世の干拓によって拡大したとされるが、とくに、近世後半の開発地区において地表下4mまでの堆積物を調べると、深度2mまでの堆積物の粒度が、それ以下の堆積物と比べると粗く、花崗岩類片や石英粒の割合が多い。また、鉄滓粒の存在も確認される。高梁川上流域では、同時期の鉄穴流しによって、2億m^3以上の廃土が出たことが分かっており(貞方・赤木、1988)、これらの流出土砂が、大規模な干拓地形成の下地をなしたとみられる。 以上のように、中国地方各地の沖積平野の、近世における急速な拡大の背景には、中国脊梁山地を中心に盛んに行われた鉄穴流しによる大量の廃土が大きく関与していた。
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