研究概要 |
昨年度に引き続き、本研究課題のもと、特別研究員奨励費の補助によって平成14年度中に遂行した研究は、以下の2点に集約される。1.初期バークにみられる美学思想形成の経緯、2.日本におけるバーク思想(とりわけ美学思想)の受容。以下、これら各々の課題に関して、それぞれ今年度分の研究について主たる実績を報告したい。 《1.バークにみられる美学思想形成の経緯》 2002年5月、昨年のアイルランド(バークの小学校・中学校・高校・大学時代)調査に続き、政界登場前後までのバーク青年期に関するフィールドワーク調査のため、イングランドを訪問した。この調査で訪れたのは、ロンドン、ブリストル、バース、シェフィールドである。なお、この渡英はこれまでの研究の中間報告として、国際学会Conference on Aesthetics and Philosophy of Art, supported by British Society of Aesthetics and Mind Association (at Warwick, UK, 10-11 May)での研究発表"Edmund Burke's Aesthetics as Anti-Ocularcentrism : A Connection between Sublime and Grace in terms of the Tactile Sensation"(presented date : 11 May)も含んでいた。ロンドンでは、シャフツベリ通りにバークの旧居を見いだせた。また、18世紀の北米貿易の窓口かつバークのポケット選挙区だったエイヴォン河口の町ブリストルでは、1720年代の運河幅員拡大の意義を市立図書館での資料収集によって確認できた。当時のブリストルの発展が、若きバークも療養でしばしば訪れた温泉リゾート地バースでの華麗なる社交文化・建築文化を生んだこともわかった。そのバースでもバークが住んだ住居も確認できた。また、市立図書館の協力により、市内の美術館に、バークの岳父の肖像をも確認できた。彼はアイルランド出身の医師でバークの主治医でもあった。バークは伴侶をこの地で得たのであろう。先行研究では、大学卒業後アイルランドを離れた1750年から政界に登場する1764年までは「空白期」とされている。今回のフィールドワークは、バーク研究はもちろん18世紀学という面からも大きな成果であったと思われる。シェフィールドでは、公文書館にて手稿のコピーを入手した。今回の調査は、スチールおよびスライド写真の映像資料(600枚以上)によって成果の記録もおこなっている。これら諸資料に基づく初期パーク研究は現在鋭意進行中である。また、10月には、第53回美学会全国大会(於広島大学、10月12日・13日)において、昨年『イギリス哲学研究』誌で書評した安西信一『イギリス風景式庭園の美学』をめぐるワーックショップにてコメンテーターとして小論を発表、討議した。なお、バークの崇高論の相対化のため、現代思想のひとつの淵源的哲学者G・ジンメルにおけるアルプスをめぐる崇高論にかんするドイツ語研究論文を書いた。 《2.日本におけるバーク思想(とりわけ美学思想)の受容》 昨年度の国際学会での中間報告の報告を、『文芸学研究』誌に寄稿した。さらに厳密な調査のため、本年度も2002年8月、2003年1月東京周辺(東京大学・日本大学・国会図書館・ラスキン文庫など)、東北大学(淑石文庫・児島喜久雄文庫など)での資料収集・調査によって、幕末・明治初頭から戦前におけるバークの受容過程がさらにはっきりしてきた。本年は、これまで集めた書籍資料の整理・解析が大きな位置をしめていた。この資料類の解析が最終年度における大きな成果につながる予定である。現在、関心があるのは「岩倉遣欧使節団」のメンバーの欧米体験が、日本における西洋の芸術・思想・文化の受容に与えた影響を、バーク受容の母胎として大きな視座から考察している。 なお、以上2つの研究課題それぞれに即して、上記の研究成果に関しては、甲南大学、大阪工業大学などにおける研究教育活動(非常勤講師としての講義や研究例会への参加)のなかで公開に努めた。
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