今年度は、昨年度と同様、日本国内においては依然として体系的に紹介されていないコルネリュウス・カストリアディスやクロード・ルフォールらのテクストを精読・体系化する作業と平行して、あらたに、メルロ=ポンティにおける<社会的なもの>の存在論を、唯物論といった観点から、つまり、「下部構造」としての<社会的なもの>といった観点から最解釈する作業に着手した。現在は、メルロ=ポンティの唯物論の可能性について考察している。メルロ=ポンティにおいては、「歴史的な意味とは(まさに)人間相互間の出来事に内在」するものとされる。しかしながら、他方でそれは「下部構造の惰性とか経済的な諸条件、さらには自然的諸条件の抵抗」などを受けるものであるとも言われ、むしろメルロ=ポンティにとって意味は「物を媒介として」現われてくると言える。またそれは、「歴史の横糸」とも呼ばれる「制度」という「物の秩序」のうちに現出するとも言われ、メルロ=ポンティにおいて意味は、常に「マテリアルな存在契機のうちにこそ受肉する」ものと見なされるのである。そして、そこにおいてメルロ=ポンティは、マルクスに倣いつつ「物質」という概念を「人間の共存の体系のうちに組み込まれたもの」として積極的に捉え返し、「物が人となり、人が物となるようなこの交換」の関係を「復原」することを、唯物論を考察する際の最も重要な課題として自らに要請するのである。つまりメルロ=ポンテイは、マルクスの唯物論に寄り添いながら、自身の唯物論の特質を「人間と外界、主体と客体とのあいだの血縁の関係(parent)を表明する」ものとして性格づけようと試みるのである。このような解釈は、メルロ=ポンティにおける最下部の構造、すなわち「諸構造の構造」として位置付けられる<社会的なもの>と当然密接に係わってくる。来年度は、これらの成果をもとに、さらにメルロ=ポンティにおける<社会的なもの>の存在論を唯物論へと引き寄せ、最終的にその成果を発表することにしたい。
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