「中国・韓国・日本における八部衆像の研究」と題し、平成13年度から15年度にわたり研究を行ってきた。その過程で、八部衆(阿修羅、竜、迦楼羅などで構成される)という護法神の枠組みは中国で成立したものであることを明らかにしてきた。もちろん、八部衆を構成する阿修羅などの尊像は、インド、東南アジアにおいても確認され、中国で八部衆像としてグループ化される以前から信仰されてきた神々である。本年度は、このような単独で信仰されてきた阿修羅(アシュラ)、竜(ナーガ)、迦楼羅(ガルダ)などの作例を視野に入れ、これらの神々が単独で造られ、信仰されている場合の図像と、八部衆像として造られた場合の図像とでは違いがあるのかないのか、あるのであればどのような違いなのか、考察を広げてみた。 阿修羅像については、八部衆における阿修羅像は日・月、曲尺、天秤などの持物を執ることが、本研究者のこれまでの研究により明らかになっている。河南省竜門石窟賓陽北洞(7世紀中頃)などの中国の初期の作例から、慶尚北道慶州昌林寺址三層石塔(8世紀後半)など、韓国の統一新羅後期から高麗前期に至る作例など、いずれの八部衆における阿修羅像にも必ず確認できる持物である。一方、八部衆ではない単独の阿修羅像には見いだせないものが多い。日・月などの持物も、中央アジアから中国において付加された持物と思われる。それには、阿修羅像が仏教に取り入れるまでの重層的な流れが反映されている。一つは西アジアにおける最高神アフラ・マズダーの一性格としてのアスラである。最高神であり司法神であるアスラが中央アジア経由で中国に直接もたらされ、天秤・鋏・墨壺を持つことが多い中国古来の天地創造の神々のイメージと重なり、阿修羅の図像が形成されたと考えられる。その一方で、西アジアのアスラはインドにおいて軍神インドラに敵対するアシュラとなり、ヴューダ聖典、仏教経典において、インドラに調伏される荒ぶる神々として認識されるようになる。中国、韓国、日本にみられる、怒りのイメージを思わせる赤の身色、荒々しい表情をもつ阿修羅は、ここに起因する。 このように、東アジア以外において単独で信仰されている神々の図像との比較により、八部衆に取り入れられた各尊像が、その形成過程でどのようなイメージを強く受け、どのような役割を期待されて組み込まれたのか、その一端を考察する資料となった。
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