研究概要 |
本年度の研究は昨年の美術史学会全国大会(於:神戸大学)の研究発表をもとに、アジャンター第19窟のファサード左右の守門ヤクシャ像が守門としてのヤクシャ、脇侍としての観音・弥勒菩薩の二つの性格が融合した像であることを明確にし、さらにかかる現象を守門像の「菩薩化」という視点から捉え、同時に第17窟仏殿の本尊の脇侍像についても脇侍の菩薩化があったことを論証し、アジャンター石窟における守門像、仏殿本尊の脇侍像の「菩薩化」の問題をヤクシャと菩薩の造形との関わりで論証した。本考察は『美術史』第153冊(2002年)に掲載された。 密教図像学会第22回学術大会(於:広島大学)にて「アジャンター第2窟後廊左右祠堂のヤクシャ像について-王朝とヤクシャ信仰をめぐる問題-」という題目で研究発表を行い、後廊右のパーンチカ・ハーリティー祠堂を仏教僧団の守護神として祀られたものとし、『根本説一切右部毘奈耶雑事』に記載される伽藍の守護の性格があることを指摘し、さらに後廊左の二ヤクシャ祠堂については、祠堂に祀られる二ヤクシャを財宝を人格化したニディと同定し、左右側壁の壁画についても新たにその主題が『マハーバーラタ』や『マハーヴァンサ』に登場する王朝と関わる女神(羅刹女、夜叉女)との関係から、王朝の宮殿内で祀られたであろう女神の信仰を反映したものであることを試論ながら提示した。第2窟後廊左右祠堂における僧団と寄進者である王朝との関連を明らかにした。 『名古屋大学博物館報告』第18号(2002年)では、これまで収集した南インド、アーンドラ地方のガナ型ヤクシャ像,特に奏楽・舞踏像の資料をもとに、ガナ型の奏楽・舞踏像のインドの奏楽・舞踏像における位置付けを明らかにし、ガナ型の奏楽・舞踏像の展開を整理し、南インド、アーンドラ地方からデッカン西北部のアジャンター周辺への伝播を跡付けた。
|