本研究の目的は「満洲国」統治を植民地帝国日本のなかに構造的に位置づけることにある。特に、治外法権撤廃措置を中心とする「満洲国」統治機構の形成、「満洲国民」の創出と「在満朝鮮人」問題、「日本海ルート」と異法域統合をめぐる帝国日本の統治構造を考察の基軸に据え、植民地朝鮮との構造連関を中心に、日本の帝国支配における「満洲国」統治の特色とその諸矛盾を解明しようとするものである。 本年度は「満洲国民」創出の試みとその挫折の経緯について、教育・国籍・兵役に関する「在満朝鮮人」政策をめぐる朝鮮総督府と関東軍の対立を中心に検討し、「五族協和」(日・朝・漢・満・蒙)というスローガンのもと表面的には多民族共存を掲げた「満洲国」統治と、「内鮮一体」の原則の下、朝鮮人の民族抹殺政策を遂行しようとした植民地朝鮮における「皇民化」政策との矛盾を明らかにした。 またあわせて、「在満朝鮮人」の「対日協力」の諸相をハルビン朝鮮人会と「満洲国」協和会朝鮮人分会の「対日脇力」を事例に検討した。現存する統計資料では、1930年代を通して、ハルビン総人口に占める朝鮮人の割合は1パーセント強を占めるに過ぎない。その大多数はアヘン・麻薬に関わる「不正業者」といわれ、社会的には最下層に位置していた。ハルビン朝鮮人会や「満洲国」協和会ハルビン朝鮮人分会の指導者はかつての「反満抗日」運動の帰順者であり、彼らの活動が民族分裂政策の一翼を担うものであったことは明らかである。しかしながら同時に、彼らは関東軍とともにアヘン・麻薬に関わる「不正業者粛正工作」を実施する一方、転職紹介や救療事業、貧困者の生活補助などの社会事業に従事していたことなどを明らかにした。
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