藤原鎌足像を中心に中世肖像画の収集・調査を継続し、奈良県多武峯・京都府東寺・広島県笠岡市において熟覧・写真撮影等の調査を行なった。また滋賀県油日神社所蔵の絵画群(聖徳太子絵伝・十二天図等の仏画)の悉皆的調査を行った。 主要な研究として、(1)中世日本において藤原鎌足とともに描かれた維摩居士の造形の三種の図像群の存在を明らかにし、それらが従来知られている脇息にもたれて麈尾を持す姿とは別種の図像群であり、日本における維摩像の造形のもう一つの重要な系譜をなすことを考察した。(2)相模国鎌倉の地が、かつて蘇我入鹿討滅の宿願を抱く簾原鎌足が常陸国鹿嶋社参詣の途次に霊夢によって所持していた鎌を埋めたことに由来するという「鎌倉」地名由来説について考察した。(3)古代・中世において列島各地で起こっていた鳴動について、その長期的波動に着目してその全体的分析を行なった。(4)古記録に記されたある夢の考察を通して、織田信長政権の正当イデオロギーが中世的武威の継承にあったことを主張した。 そのほか(5)アイルランドのチェスター・ビーティー・ライブラリーに所蔵される絵巻・絵本類の一部として、「朝比奈物語絵巻」・「船長日記」・「彩画職人部類」・「諸職画通」・「絵本豊臣勲功記」・「武器二百種」・「奥州軍記」について解説を執筆した。また(6)多武峯談山神社所蔵寛正4(1464)年成立の『談山権現講私記』を史料紹介し、中世における鎌足像講讃儀礼の広がりを明らかにした。さらに(7)和歌山県立博物館特別展「歴史のなかのともぶち」展に関する展示評をし、合わせて中世鞆淵荘における12・14世紀の高野山・八幡信仰という文化の重層化について指摘した。
|