ヘレニズム美術におけるパトロネージの問題は、時代と地域によって3つに大別される。第一、紀元前4世紀の小アジアのカリア地域。第二、ヘレニズム盛期におけるペルガモン王家を始めとする君主たちによる芸術振興策と都市ロドスによって代表されるギリシア都市。第三、ヘレニズム後期におけるローマ人たちによるギリシア美術の受容。この3つの大きなトピックに対し、今年度は以下の研究を行った。 1.紀元前四世紀半ば、小アジアのカリアの領主となったマウソロスは、政治的にはペルシアに従属していながら、積極的にギリシア人の彫刻家を登用して、自らの墓廟「マウソレイオン」を建設した。だが、現代の研究者たちによるこのギリシア人彫刻家たちの評価は、ローマ人著述家たちの言葉に基づいたもので、当時の実体を正しく反映してはいない。そこで、近年行われたマウソレイオン遺跡の発掘結果を再検討し、古文献を網羅的に調査し、紀元前4世紀半ば当時における彼らの正しい評価を導き出した。その結果、ヘレニズムの萌芽期において既に、ペルシアの領域内において、カリアの領主が的確にギリシア人彫刻家たちの特性を理解していたことが判明した。この成果を論文にまとめ、さらに手を加えて「ヘレニズム〜イスラーム考古学研究会」でも発表した。 2.都市ロドスにおける芸術振興策について、簡潔にまとめ、発表した。昨年完成させた論文『ロドス島の古代彫刻』については、出版準備を進めている。 3.共和政末期のローマにおける、ローマ人によるギリシア美術の受容、ギリシア人彫刻家のパトロネージについての具体例として、ローマのオクタウィアの回廊周辺区域におけるギリシア彫像の「奉納合戦」とでもいうべき現象に注目し、紀元前2世紀から紀元前1世紀にかけてのローマ門閥貴族たちの動向と芸術のパトロネージについての関係を解明し、論文「共和政ローマにおけるギリシア人彫刻家の活動-オクタウィアの柱廊周辺の3つの神殿の場合」を執筆した。その中で、彫像の様式と碑文証拠にキケロの手紙の一節を結びつけ、彫刻家フィリスコスの活躍年代を、現在までに通説となっていた紀元前2世紀半ばから紀元前1世紀へと引き下げた。
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