近世琉球に漂着した外国人漂着の事例を中国人漂着民中心に分析することで、清・琉球関係の内実に迫り、さらにそれが当時の東アジアの中でどのような意味を持っていたのかを論証せんと試みた。そのため8月下旬に沖縄本島及び久米島に、8月末からは中国(福建省)に赴いて史料収集とフィールドワークを行った。 その結果、琉球王国内部において清との対外関係がどのような意味を持ち得たのかを解明すると同時に、琉球使節が清(特に窓口であった福建省福州)において行っていた活動、及びそれを受け止める清側の構造を部分的にではあるが明らかにすることができた。その成果は、論文「近世琉球における外国人漂着民収容センターとしての泊村」(別紙参照)、「近世琉球における中国人漂着民の船隻・積荷の処置の実態-日本と中国の狭間で-」(別紙参照)、及び報告「『唐人の手紙』-近世琉球における漂着民の処置とキリシタン禁制-」(:海域アジア史研究会例会)「近世琉球における外国人漂着民の処置と泊村-特に朝鮮人との関わりを通じて-」(シンポジウム「朝鮮と琉球」:浦添市立図書館)、で発表した。
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