研究分担者 |
シャウキ シャアス シリア国立アレッポ博物館, 主任研究員
滝沢 誠 筑波大学, 歴史・人類学系, 助手 (90222091)
中村 徹 筑波大学, 農林学系, 講師 (60015881)
赤羽 貞幸 信州大学, 教育学部, 助教授 (40089090)
脇田 重雄 (財)古代オリエント博物館, 第一研究部, 研究員 (00175069)
浅野 一郎 早稲田大学, 校地埋蔵文化財調査室, 調査員
常木 晃 筑波大学, 歴史・人類学系, 講師 (70192648)
西野 元 筑波大学, 歴史・人類学系, 教授 (50208203)
SHAATH Shawqi Head Curator, National Museum of Aleppo
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研究概要 |
筑波大学歴史・人類学系は,1990年から92年にかけての3年間,シリア北西部イドリブ県にあるエル・ルージュと呼ばれる東西2〜7km,南北37kmほどの広がりをもつ盆地において考古学的調査を実施した。この調査のねらいは,人類史の最重要テーマの一つである農耕文化の始まりから都市文明形成までの歴史的プロセスを,実際のフィールドにおける遺跡動態の研究を通じて考察してみようとするものであった。 上記の目的を達成するために,主として3項目の調査を実施した。第1に,北西シリアにおいては未だ当該期の編年が確立しているとは言い難い状況のため,盆地内の4遺跡で試掘調査を実施し,盆地内の新石器時代から青銅器時代についての考古学的編年の確立を目指した。第2に,盆地とその周辺に存在する遺跡群に対する詳細な分布調査を実施し,各時期ごとの遺跡分布図を作成した。第3に,時期ごとの遺跡動態と自然環境との関わりを探るべく,地質・地形学,植物生態学,花粉分析学などの専門家による環境科学的調査を実施した。 試堀調査の成果に基づき,10の文化期が設定された。盆地内には33のテル型遺跡が存在しているが,そのほとんどが数時期にわたって居住されている。盆地内でのテルが出現する時期に関してであるが,現在のところ地中海沿岸に近い北西シリアではナトウーフ期の洞窟遺跡を除くと,PPNA期からPPNB期前半のテル型遺跡は報告されていない。それに対してPPNB期後半からテル型遺跡が出現し始め,次の土器新石器期になると爆発的に遺跡数が増加している。エル・ルージュ盆地での我々の調査結果もこれと驚くほど符合している。この状況は,花粉分析結果などから想定されている紀元前7千年紀後半の気候乾燥化と密接に関連していると思われる。つまり北シリアでは中央部のユーフラテス河中流域などでいち早く定住化と農耕の試みがおこっており,PPNA期からPPNB期にかけて安定した農耕村落が確立するが,PPNB期後半からの気候乾燥化にともない遺跡の集中する場所がより雨量の多い西方にシフトしていると考えられるわけである。そしてそのような場所に,大型で密集度の高い集落が成立している。エル・ルージュ盆地で我々が調査したテル・エル・ケルクやテル・アレイは,そのような農耕文化確立期の拠点的な大規模集落成立を考察する上で,非常に興味深い遺跡となろう。 第3,4期には,盆地内の遺跡数の激減と集落規模の縮小が観察された。出土土器などから,この時期に東方の北メソポタミア方面の影響を強く受けていることは明らかであり,そのような盆地外の文化の波及と遺跡数が減少し集落規模も縮小していくことの間には,何らかの相関関係があると思われる。第6,7期では,規模の格差の少ない集落が盆地内に密集している様子が確認されているが,これはこの盆地がより大きな地域圏に取り込まれたことを想定させる。青銅器時代前期と中期の北西シリアには,エブラ王国やヤムハド王国などの強国が繁栄していたことが判明しており,水資源に恵まれ高い生産力を誇ったエル・ルージュ盆地も当然それらの王国の版図に含まれていたはずである。盆地外の拠点的都市に統括された状況が,その遺跡動態に現われていると考える。後の時代の様々な文献で言及され,内陸と地中海を結ぶ重要な交通路に当るこの盆地東縁に,テルが連続して並ぶ様子は特に示唆的である。第8期から第9期初頭までの盆地内の無居住化は,文献資料などから知られる青銅器時代後期から鉄器時代始めまでの北西シリアの政治的混乱がその原因となった可能性があろう。第9期には盆地内の開発が大きく進み,盆地周辺の石灰岩山地にも人々の居住が広がっていることが確認された。石灰岩山地への進出に関しては,オリーヴを中心とする果樹栽培が深く関わっていたと考えられる。同様の状況は次の第10期にますます顕著となり,特にローマ・ビザンタイン期にはエル・ルージュ盆地周辺は東地中海世界の中でも極めて繁栄した地域の一つに挙げられている。 地形学・地質学的調査では,盆地中央部にかつて存在した古ルージュ湖が塩湖から淡水湖に推移したことや,時代によってその大きさを変えていたことなどが判明した。また植物生態学的調査や花粉分析学的調査も,盆地の古環境復元に向けて様々な資料を提供している。これらの調査結果を総合することにより,エル・ルージュ盆地を中心とする北シリアの歴史理解がより一層進むものと確信している。
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