研究概要 |
本研究の目的は、中部日本の林野利用について、明治以降、今日に至る約百年間にわたる変化を村落単位の空間で明らかにし、そのメカニズムを把握することにある。本年度は、養蚕など商品化の進んだ村落を有してきた関東北部の山間地域(群馬県鬼石町),牧野利用と農用地化や育林的林野利用が複合化してきた中部地方の山間地域(愛知県豊根村),薪炭生産と育林的林野利用の卓越してきた近畿地方の山間地域(奈良県曽爾村)の三地域において調査を実施した。その結果は、次の通り。 まず、群馬県鬼石町の場合、戦前において養蚕が村落の経済基盤となっていたため、戦前の土地利用の中心は畑地(桑畑)で、本格的に造林が行われたのは戦後のことであり、それは昭和初期からの養蚕不況と戦後の造林ブ-ムに対応したものであった。また、村落が成立した中世中期以来、焼畑、採草地、薪山といった伝統的な林野利用が中心となっていた愛知県豊根村では、昭和30年代後半における広葉樹材の採取的林業の成立を皮切りとして、焼畑跡地への造林が明治末期から行われた。さらに、昭和50年代前半に入会林野近代化法によって解体されるまで入会林野が広く残存した奈良県曽爾村においては、林野所有が明確になるのは近代化以降であった。広大な入会林野は、明治期から地上権の設定が行われていたものの、採草地としての役割が温存されたため、植林は進まなかった。これらの入会林野の経済林への転換が見られたのは昭和30年代後半からであった。 このように、造林による経済林への転換時期に、地域的なズレが生じた背景には、木材市場との距離,村落の経済基盤、所有関係の違いなどがあると考えられる。本年度は、林野利用面を中心に考察を進めたが、今後は、各々の時代、時期における村落の社会経済環境との関連で、さらに研究を進める必要がある。
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