本研究は、首都東京の基礎を構成する東京湾岸および、そこへ流入する江戸川(古利根川)・荒川などの河川と、その流域である東京低地の先史・歴史時代の水域環境の変化を、自然地理学的手法で解明しようとするものである。すなわち、東京低地の微地形分布を明らかにし、遺跡の分布と地形との関連や、近世の人工改変以前の地形を復原することなどにより、縄文海進以降の東京低地の地形変化を明らかにすることを目的とする。 東京低地は縄文海進の後、利根川・荒川下流低地として形成された。このため、もとの利根川下流である中川、江戸川に沿って多数の自然堤防がみられる。また、武蔵野台地・下総合地の緑などには砂州が分布する。これらの微地形の分布から海岸線や河川の位置を復元した。また、考古・歴史史料との対比を行なった。その結果、毛長川沿いと、中川・江戸川の間は遺跡の分布密度が高く、相対的に陸化が早かったと考えられる。一方、隅田川と中川の間は、おそくまで水域が残されていたと考えられ、中世以降も千潟あるいは湿地となっていた。また、市川砂州の北側の真間の浦ラグ-ンなども、海進の名残りではないかと思われる。江戸時代以降になると、河川改修や埋め立てにより、東京低地の地形は大きく改変された。 以上のように、東京低地の地形は縄文海進以降常に変化しつづけてきた。この変化する環境に適応した人類の生活があったことを考慮して、今後よりくわしい研究をすすめる必要がある。
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