研究概要 |
全集本贅語を校定して明らかになったことは,原文自身の不備(三浦梅園は自ら原文に送り仮名を付しているが,推敲に当って送り仮名を修正せず,元のままにしている所が少なからずある)をそのまま忠実に活字に組んであって,全集本のテニオハは必ずしも正しくない事実であった。従って全集本の校定は単なる誤植の訂正に止まらない本格的な校定となる。この意味で書き下し体を作る作業と校定作業が一体であることがはっきりした。 贅語の成立過程については1979年に阿部隆一氏がその筋道を明らかにされているが,昨年八月に刊行された岩見輝彦著『三浦梅園の聲主の学』はその第11章附・「贅語」引書出典考で,阿部氏の指摘をふまえ,贅語の母胎となった玄語第十次稿本に付された附篇の内容を紹介し,梅園がそこに引用した古典を始めて世に示した。それは『列子』『論語』『易(繋辞伝)』『荘子』であり,陸象山の語と共に,いずれも梅園に影響を与えたか,または彼が共感を覚えたものばかりである。この附篇と玄語第十次稿の関係は,玄語と贅語の関係を考える上で大きな示唆を与えてくれる。贅語が玄語から分離独立するにつれ,玄語への他人の影響(中国古典他)は外見上捨象される。玄語は出典明示の頭注がつかない作品であるかの様相を呈するが,岩見氏のこの附篇の紹介と分析は,この仮象を破砕した。 実際に贅語の引用を原物に当ってみると,一字一句たがわぬ引用ではなく要約して引用している梅園の特徴が浮かび上ってきた。また批判の対象として引くだけでなく肯定して引く場合が意外とあることも。その上書名をあげないでエッセンスを頂戴している玄語のスタイルが贅語に反映している場合もあり(例,春秋繁露),贅語の出典調べは内容を深く読み込まなければ完壁さを期しえないことも明らかとなった。
|