研究課題/領域番号 |
02301078
|
研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
村松 岐夫 京都大学, 法学部, 教授 (80025147)
|
研究分担者 |
的場 敏博 京都大学, 法学部, 教授 (50135505)
小野 耕二 名古屋大学, 法学部, 教授 (70126845)
大嶽 秀夫 東北大学, 法学部, 教授 (40083563)
三宅 一郎 神戸大学, 法学部, 教授 (60066157)
福井 英雄 立命館大学, 法学部, 教授 (60066610)
|
キーワード | 55年体制 / 一党優位政党制 / 「統治政党」イメ-ジ / 対米「協調」と対米「自主」 / 生産性政治 / 1府12省体制 |
研究概要 |
現在まで5回の研究集会と1回の研究合宿が開催され、研究報告とそれに基づく討論が行なわれた。特に研究合宿では、研究成果として論文の執筆を予定されている参加者全員が論文の第一稿を提出し、この第一稿について突っ込んだ批判と検討が行なわれた。その中で、1950年代の日本の政治の様々な側面(外交政策、通商産業政策、行政機構、労働政治、政党システム、世論状況と選挙など)について、新たな重要な知見が得られ、研究の対象としたこの時期(占領期と高度成長期の中間期間)が戦後の日本政治の展開にとって重要な意味をもっていたことが明瞭になってきた。これらの重要な知見の一部を列挙すれば、次のとおりである。 1.50年代に1府12省の行政機構が完成するが、その過程は、占領期改革の影響のなかで(経済を中心とした)日本の復興の基盤を形成しようとした自覚的な努力の過程である。2.すでに50年代の外交・通商政策において、「高度経済成長」路線が自覚的に追及されるべき政策選択肢として存在していた。その意味で、50年代は高度成長の「準備期」である。3.政党政治のレベルでもまさに50年代にその後の枠組みが形成された。自民党を自然の「統治政党」として受け入れる国民意識が形成されたのもこの時期であり、社会党が労働者の一部の利益のみを代表する「非包括政党」として純化し、統治政党としての潜在的可能性を失っていくのもこの時期である。 こうして、この時期が占領期改革の影響のもとでその後の政治展開の基本枠組みが形成された、戦後政治の結接点であることが明らかになってきたのである。
|