出雲と沖縄のシャマニズムはシャマニズムとしての共通性を持ちながらも強い異なりを示している。それを出雲の祭り、美保や神楽などのシャマニズムを中心とする祭りと沖縄のノロ、根神などを中心とする祭りと対比して考える。前者の祭りを構成する人々が男子であるのに対して後者が女性による祭りであるという点で大きな異なりを示している。宗教現象はその社会の全体の姿をその中心的メンタリティのあり方に基づいて表出しているというデュルケムの思考に基づいて考えると、祭りにおけるこの姿が両方の文化の異なりを示していると考えられる。この問題を考える一つの手だとしてオナリ神の問題を考える。それは、姉妹が兄弟を守るという呪的な宗教的信仰である。この思考は、沖縄の文化の中心を貫いており、聞得大君のような社会階層上位の者から一般の姉妹が兄弟の収穫を守り、また、兄弟が旅に姉妹の手拭や毛髪を持ち行くところまで全文化的に存している。これはさらに沖縄の祭りのどの部分にも表出されている。久高島のイザイホーでもその中心的部分にいろいろの形で表出されている。女子を中心とする祭りである。百人以上を含む祭りのメンバーはすべて女性である。男子では2、3人が含まれるに過ぎない。このような沖縄の姿を出雲と対比する場合にシャマニズムとしての種々の類似点を含みながら、一方が男子を中心とする祭りであり他が女子を中心とする社会の祭りであることが明らかになってくる。パラオやポナペなどの母系文化において異性兄弟姉妹関係は親子関係より重要であり、姉妹が兄弟を守ということはパラオでもポナペでも見出される。彼らの女酋長は、私の責任は兄弟です、子供には兄弟姉妹があり姉妹が兄弟を守る、という。このようなミクロネシアとの地理的関係や刺青などの他の諸文化因子の類似を考えると、沖縄の原初母系文化の存在が考えられる。
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