本研究は、わが国の義務教育の地域的基礎になっている通学区域を対象にして、その存在類型を解明する意図を持って行われた。わが国の通学区域は一般に極めて複雑な形態をとどめている。通学区域の設定の基礎には、町内会や旧村、都市計画など先行研究によって知られている要因がさまざまにあげられる。しかし、通学区域を統一的にどのように理解したらよいのかについては必ずしも明らかにはされてこなかった。そこで、本研究では、わが国の小学校通学区域を鳥瞰するための作業仮説をもうけ、そのうえで都市における通学区域として京都市の番組小学校を、また、民俗宗教組織との関わりを調べるために伊勢市、川越市の小学校を取り上げ、わが国の通学区域理解のための枠組みを明らかにする作業を行った。 京都市の番組小学校については、明治初頭からの通学区域の変遷の経緯が明らかになり、改めて番組を基礎にした通学区域の実態が明瞭になった。今日の番組小学校の大半は明治初頭の番組割を引きずっている。番組割りがその後変更されたもっとも重要な背景は、第2次世界大戦直後の新制中学校の発足にともなう小学校転用である。伊勢市については、明治初頭の旧町を基礎にした通学区域割りが明らかになった。民俗宗教組織との関わりは必ずしも明瞭にできなかった。 今回の研究での大きな成果は、現行通学区域の把握のための枠組みが確立できた点である。つまり、わが国の通学区域は明治初頭の学区概念のうち学校設置区域としての意味合いを厳然として保持しているということである。教育組織としての通学区域が町や村の構造に組み込まれる媒介は、学校設置区域として成り立っている通学区域の側面が果たしている。通学区域に地域政治機能など地域の論理が絡みつく理由はそこにある。
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