二年度に当たる平成三年度は、本研究の最終年度であるので初年度に調査・収集できなかった分についての歌舞伎関係資料及び、常磐津・富本・清元の正本・稽古本の調査・収集・研究を行った。本年度も調査・研究は東京を中心に行い、国立音楽大学附属図書館竹内道敬寄託文庫・上野学園音楽日本音楽資料室・国立音楽大学図書館・国立国会図書館・東京都立中央図書館加賀文庫・東京芸術大学附属図書館などに収蔵されている資料の調査・収集を行った。これらの内、現在ほとんど行われていない富本節の資料はやはり僅かであったが、稽古本は僅かで正本のほうが遥かに多いこと、特に江戸後期の稽古本が少ないことが確認された。清元節の資料については、かなりの量が残っているが、こちらは正本より稽古本の方が多く、流派の隆盛と出版事情の連係がよく窺われた。収集資料を検討した結果、富本節の資料は文化末年以降のものが急速に少なくなっており、富本節の衰退がすでに文化年間から始っていたことを裏付けている。文化九年、清元延寿太夫が独立したのもこうした富本節の事情をよく示すものであった。また、文政五年二代目富本豊前掾が没した後、清元延寿太夫が全盛であった文政八年芝居の帰途に刺殺される事件が起こり、これが富本節の者の仕業ではないかとの風聞が流れたこと、初代豊前掾が武家の出であることから、富本節は上級武家と関わりの深く、歴代が受領し豊前掾を名乗るなどの形で力を保ってきた面もあったが、町人が力をつけてきた江戸後半には強力な屁護者を失ったことなど、富本節の衰退の事情もかなり明らかになってきた。これに対して清元節は、庶民の中に浸透し、女性演奏家も見出されるなど、時代の変化によく対応していたことが知られた。しかし、両派の資料はこの二年間に収集仕切れなかったので、まだ不明な点が多い。引続き調査・研究を続行したいと思っている。
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