研究概要 |
長崎市の西方の海上13kmに位置する小離島・長崎県西彼杵郡高島町は、唯一の基幹産業であった三菱高島炭鉱が昭和61年11月に閉山したあと急激な人口流出が起った。閉山時5500の人口は4ヶ月後の昭和62年3月末までに2500となり、1年後には2000,閉山5年後の現在は1200という日本最小人口の町(村を除く)となった。そして高校の閉鎖(廃止)、町立病院から無床診療所への規模縮小,また町民1人当りの医療費は全国市町村の上位5位以内という高医療費負担にあえぎ,町税収の激減とともに地域社会は崩壊に直面している。同町内の継続医療世帯300世帯の訪問聞きとり調査と医療報酬レセプトの全数調査を行ない。受療行動の解析と医療費高額化要因分析を行なった。また高島町から炭鉱閉山以後に転出した全世帯(2500世帯)にアンケ-ト用紙を郵送し,35%の解答を得て、これらをデ-タベ-ス化した。町に残留している1200人の町民を対象にした健康診断(住民検診)の経験から、町民の健康に関する意識を高め,自己の健康状態のより正確な認識を具現するための健康情報伝達手法として「顔グラフ」を創出した。さらに,第2次世界大戦終了後の45年間の町財政と地域唯一の基幹産業である石炭産業とのかかわりについても財政学的な解析を行なった。その結果として,企業(石炭産業)と町(地元自治体)との実質的な財政収支バランスは自治体がマイナスであったことが示された。これらの包括的・学際的な分析の成果は「炭鉱閉山の島から学んだことー長崎県高島における学際的地域研究の試みー」として刊行公開され,関係各分野から高い評価を得ている。
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