従来の歴史哲学は、主として「歴史の意味」や「歴史の発展段階」といった大局的な問題を論じることに力を注ぎ、総じて世界観の学という性格をもっていた。しかし、価値観の多様化が進行し、西欧中心の歴史観が批判の矢面に立たされている現在、世界史の流れを一元的に説明するヘ-ゲル以来の歴史哲学はその役割をすでに終え、新たな歴史哲学の形成が喫緊の課題となっている。そのためには、マクロレベルの「歴史観」ではなく、ミクロレベルの「歴史叙述」に焦点を合わせた研究が不可欠である。本研究では、歴史叙述の基本的構造を現在の分析哲学、とりわけ言語行為論の成果を手がかりにして解明することを試みた。 歴史は「作る」ものでも「成る」ものでもなく、「語る」ものにほかならない。これが本研究の出発点である。歴史叙述の対象である「歴史的出来事」は、過去に生起した事件のありのままの再現ではない。それは「想起」の遠近法による選択と再編成、すなわち「解釈学的変形」を被った出来事であり、「客観的事実」であるよりは「解釈学的事実」と呼ばれるべきものである。だが、過去の想起は「語る」という行為によって媒介されなければ、単なる個人的思い出に留まる。言語行為を通じた過去の出来事の「構造化」と「共同化」こそが、歴史的事実の成立要件である。こうした歴史叙述の基本単位をなす言語行為を「物語行為」と名づければ、歴史とは物語行為による「言語的制作」の所産にほかならない。本研究の成果は、「物語行為論」を歴史哲学の基礎理論として位置づけ、その構造的契機を分析哲学の概念装置を援用して解明したところにある。それを歴史意識の形成過程と具体目に結びつける作業は、今後の課題として残されている。
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