藁谷の本年度の研究成果は、eventの個別化が論理的に可能であるかを明らかにした点にある。今まで、eventについては、個別化可能性が前提とされ、人間言語の論理的部分がそのような能力を具備しているということが前提とされてはきたが、論理的分析にかけられることはなかった。藁谷はこの問題についてWaragai[1992]で解答を与えた。結論は、われわれの論理言語はeventについても[一般ー個別]を認めるということである。なお、未公刊ではあるが1992年科学基礎論学会大会で公表した結果は、論理的言語はevent-levelとobject-levelの区別を、それら二つのlevelの言明間に成立する翻訳定理が成立するために、本質的にできないということである。 桑子は‘A Comment on Professor Kellert'で、環境問題に含まれる哲学的な問題に関するアリストテレス的発想の擁護のひとつの形として理解されうるケラートのバイオフィリア仮説に対して、アリストテレス的な発想の限界を論じることによって批判的な検討を行なった。そこで提出した論点は、行為における状況性の重要性であり、状況の理解において、自然界と人間社会をともに含む、人間行為の根源的な状況を考える必要性を提案し、この根源的な状況を「生生する時空」と名付けた。桑子の今年度の行為論に関する研究の成果は、「目的」および「状況」の概念の解明である。 奥田は、科学という人間の営みについて科学的考察を進めてきたが、本年度は、科学の性質にとどまらず、技術の社会的性質についての考案にまで範囲を広げた。研究成果は『年報科学・技術・社会』第2号に掲載予定である。また、科学の性質については、科学の自己言及性という観点からこれまでの研究成果を整理する段階に入っており、詳細は平成5年度「科学基礎論学会・年会」で発表予定である。
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