グプタ朝後期以降の中世インドは、ヒンドゥイズムにおいて救済理論上の大きな転換の起こった時期であるが、この時期における救済理論上の転換のうち、本年度は、救済理論の瞑想から帰依への転換の意義に焦点をあつつ、『バガヴァッド・ギーター』にたいするシャンカラとラーマーヌジャの註解を中心に、以下の点を明らかにした。 『ギーター』の説く救済への道は、通常、行為の道、知識の道、バクティの道という形で定式化されるが、その相互の関係についてはもちろん、個々の内容についても後世の註解書の解釈は実に多様である。そのうちシャンカラとラーマーヌジャが、彼らのギーター解釈の基本的なスキームの中でこれら三つの道と瞑想がどのように位置づけているかを比較検討した結果、シャンカラがギーターを、祭式の執行(行為の道)とアートマンの直証(知識の道)という二元論的な枠組みの中で、アートマンの直証による解脱を説くものとして、ウパニシャッド主知主義の伝統の中で解釈していこうとするのに対して、ラーマーヌジャは、祭式を始めとする宗教的行為の実践(行為の道)から、アートマンの直証(知識の道)を経て、バクティによる救済へと至る段梯を説くものとして、ギーターを解釈しようとしていたことが明かとなった。さらに、バクティの解釈に関しては、シャンカラがそれを知識あるいは知識の手段と理解することで、バクティをあくまでウパニシャッド主知主義の伝統の枠内で解釈しようとしたのに対して、ラーマーヌジャはバクティを、一方では行為や知識や瞑想と関連づけることでヴェーダ以来のブラフママズムの伝統の中に位置づけながらも、他方では神への愛というその熱情的性格を保持することで、両者の調和を図ったのであった。
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