1.主題に関する諸文献の検討を行い、全体的な状況を把握するとともに、課題をより具体化し方法上の洗練への示唆を得た。集団就職の研究、またドキュメント等においては、年少労働者の新しい職場や生活環境への不適応を主題化したものが多いが、若年労働力の地域間移動と農村の変容、農業経営の変化をみる視点(産業構造の変換-工業化-とその地域間格差)を併せ持つことで、より構造的な分析が可能になると思われる。また、わが国の多くの人々のライフコースの形成のうえで、昭和期前半の戦争と並んで、戦後の高度経済成長の時期(昭和30年代から40年代)の集団就職等の諸経験が重要な要素となっていることが理解される。とくに地域、そして職業移動を余儀なくされた人々にとっては、語るべきことは多い。現代の日本文化の支え手たちの諸経験の一つとして、集団就職を位置づける視点である。 2.集団就職者の出身地域として青森県津軽地域(黒石)、就職地として京浜、および北陸(福井)、中京地域を選択し、文献資料と既存統計の整理検討により概況の把握を進め、さらに個人を特定化しその人生航路を明らかにする実態調査を試みた。青森からの集団就職のピークは昭和40年前後、就職先としての北陸中京は繊維産業の集積地であり、主に女子が赴任している。この県は前々からの長期出稼ぎの伝統を有しており、流動性が比較的高い実情もあった。就職先では、不適応問題も少なくないものの、親族知人の網の目も相応に形成されており、後輩の出郷にも力を有していた。このことは、都市社会分析上も興味あることと思われる。 3.以上の研究内容をより洗練された成果に結びつけるためには、全般的に今後の持続的な努力が養成されるが、とくに個人の人生を追う実態把握の部分について考慮されなくてはならないだろう。
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