大阪市を母都市としてその周辺には、30に余る、いわゆる衛星都市群が蝟集する。これらの周辺諸都市は母都市との間において、機能的補完関係をもって分業的に並立するとともに、相互に激しい都市間競争に晒されている。本研究でとりあげる大阪府摂津市は淀川右岸の、いわゆる北摂7市の1つとして周辺に吹田、茨木、高槻など都市水準において高位置を占める都市群に囲繞され、近年、これら諸都市との競合関係の中で、相対的に停滞性を顕在化させてきた。行政、市民のいずれのレベルにおいても、一種の危機感が蔓延し、それへの対応を求める声が近時、急速に盛り上がってきた。 1987年、市長の諮問機関として「摂津市経済活性化懇談会」が設置されるにいたった。本研究の代表者(神谷)が懇談会の会長に任命され、提言の作製に主導的な役割を果たすことになった。懇談会はその討議資料の作製を行政を介して、「関西大学都市問題研究会」に委託した。当研究会は1988年、1989年の両年にわたり、それぞれ性質を異にする2つの調査を実施した。その成果はすでに1990年6月10日の「関西社会学会大会」において報告するとともに、1991年10月発行の「関西大学社会学部紀要第23巻第1号」において「停滞型周辺都市における都市再生の主体要件」として公表した。1990・1991年度(平成2・3年度)の科学研究費補助金による調査研究はその延長線上にあるものであり、「都市再生」の問題を「定住性」の観点から裁断しようとするものである。なぜならば、地元経済とりわけ商業を中心とする第3次産業は地元住民の量的質的水準と深く相関するからである。端的にいって、顧客としての住民が質量的に、より定着的になるほど地元商業は潤うのである。ここに「経済活性化」を中心とした「都市再生」の課題が、そのまま、「定住性」の問題と不可分な関係にあることを確認できるのである。
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