ラテンアメリカは、アジアやアフリカなどの他の開発途上地域とくらべればかなり早い19世紀初頭に独立を達成したにもかかわらず、近代的な国民教育制度の発展の立ち遅れという点においては、他の多くの第三世界の国々と同様な問題をかかえる。その要因は、独立の達成以後、永く続いた内乱や政情不安といった政治的経済的混乱に帰しうるところもあるが、教育の伝統それ自体にその原因を求めれば、16世紀以来約三世紀間にもおよんだ植民地時代に導入された教育の遺産の根強さ、その旧い伝統からの脱却の困難という理由も大きい。 アステカやマヤなどの独特な土着インディオ文明が栄えていた新大陸を征服し、ここに植民地を築きあげようとしたスペイン王室は、この地において大規模な教育事業を展開した。その事業はある意味で、後発の英、仏、オランダなどによる類似の事業を凌ぐものがあった。まず、原住民をキリスト教徒に改宗させ、スペイン文化に適応させることを目的に、カトリック教会の修道士を教師とする教化・同化の教育事業を展開する。やがて、16世紀も半ばにいたり、入植したスペイン人の子弟や白人とインディオの混血メスティ-ソの教育要求が出現してくるにつれて、スペイン大学をモデルにした植民地大学やコレヒオの設立をはかるなど、本国の教育制度ときわめて類似した教育制度を作り上げる。こうした過程を通じて、宗教事業と教育事業の一体化、人種・階級による教育機会の格差、移植されたヨ-ロッパ的高等教育モデルの凍結と形骸化、実用的職業教育の不振、といったような特色をもつ独特な植民地教育文化が形成され、その住民に特有の教育観や学歴意識を刻印することとなる。こうした植民地教育の教育の遺産は、新たな独立共和国へともちこされることとなるが、それは近代的国民教育の形成を課題とするこれらの国にとって、むしろ重荷としてのしかかることとなった。
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