本年度はこの研究の初年度にあたるため、主として石垣市に焦点をしぼり、その一般的な態様を明らかにすることに務めた。石垣市においては現在、明治期新聞資料の整理が行なわれているが、それらも参照しつつ、本島からの移住民の子孫を訪ね、聞取り資料を収集した。幸にも数名の方々から大正時代における石垣の町の様子などを聞取ることが出来て、一応の複元が可能になったのである。それによると、石垣四力の本格的な町形成は案外に新しいことが分り、また、日本本土から渡来したものの多かったことも明らかになる。この点は特に西表島の炭鉱操業とも関わっていよう。大正時代の石垣市の町割や生業、商店街形成には本土人の手になるものが多かったが、本島人も少なからず関わっていた。 また、琉球処分以後に渡ってきた多数の本島人には、士族出身者が多く、かれらの比較的に高い教養と文化が、この地域の芸能・文化に大きな影響をあたえている。 また、次年度に向けての予備的な調査として、那覇における町形成に関する寄留についても、若干の調査を行なってきた。そのなかで大宜味大工について、昭和初期の動態を知ることができた。
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