研究概要 |
『古事記』『日本書紀』に記される天皇関係系譜の復原を前年度に引き続いて行った。とりわけ,6世紀中葉〜後半期に造作されたと推測されるものに重点を置いた。この時期には和珥氏が王統譜形成に大きな役割を果たしたことが,和珥氏系の皇子女名が架上されていること,血縁関係も多く架上されていること,「某+タラシ」形式の天皇・皇族名とともに,「ヒコ+某」形式の人・神名や「ヤマトネコ」系の人名も和珥氏と関係をもつことから、明らかになった。また,和珥氏が,この事実によって,大きな勢力を有するものであったことも,明らかになったと言いうる。蘇我氏が当該期に「大臣」として有力であったことは周知のことであるが,「タケ+某」形式の人名との関係やこの形式の人名の系譜が復原しえたにとどまり,蘇我氏の新興性がこのことからうかがえることになった。拙著『古代の天皇と系譜』(1990年10月,校倉書房刊)で天皇系譜の架上過程から,王統譜形成に継体朝,欽明〜敏達朝,推古朝の三段階を『記』『紀』編纂以前の画期として想定した。欽明〜敏達期の系譜の復原との関係で,それより前の段階での系譜が変改されたとみられるものが幾つか発見しえた。その復原も今行っているところであるが,少なくとも次のことは明らかになったと思う。神武=カムヤマトイハレヒコホホデミは欽明〜敏達期に成立したものであり,それ以前はイハレヒコとホホデミとは分離独立していた。イハレヒコに代表される「某+ヒコ」形式の人名は継体期の王統譜で既に位置づけられていた。この「某+ヒコ」はそれぞれの妃とされるものとの関係から、磯城周辺の氏族との関係が想定されるということである。
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