1、本研究は宋代新法党官僚の実態解明をめざして着手されたが、現段階では所期の目的を十分に達成しえていない。新法党以前の北宋の政治の本質を象徴している台諌の解明にまず意を用いたからである。彼らを中心とする北宋前半期の政治には、新法党によって克服されなければならない部分があり、これを明らかにすることで新法党による改革の意義を理解しうると考えたのである。 2、初年度に購入した諸文献(設備備品費)および研究期間を通じて東京・京都・金沢方面で収蒐した資料(旅費)から、台諌、欧陽修等に関する事例を抽出、整理し(謝金)、これに基づく成果を論文二点を以て公けにしたほか、若干の知見を加えて報告書を作成した(印刷費)。 3、1の立場からまず北宋前半期における台諌についての制度的検討と、彼らの実態解明を試みた結果、(1)先学が宋の台諌制度の大綱を定めたとしてきた天禧元年(1017)の詔令の吟味を通じて、この詔令が必ずしも条文どおりに実行されなかった事実、にもかかわらず実際上、台諌によって彼らの言事権を保証する根拠とみなされるに至った事実、を立証できた。またこの詔令によって設置を定められたとされてきた言事御史が、御史たちのごく一部でしかなかったことも論証できた。(2)特に北宋最初期には台諌が、言事よりむしろ三司判官などの財政関係の職務を兼任するケ-スが多くみられる事実を明らかにした。 4.北宋の代表的な諌宮である欧陽修の二種の伝記に注目し、これらを対比かつ検討した。一方は旧法党の手になる実録所収の伝であり、他方は新法党の手になる実録のそれである。両党派の彼に対する評価の差違から、台諌を中心にした政治の限界と、新法党の政治が行われるに至る必然性について、ひとつの見通しをもつことができた。 5.台諌の三司判官等兼任の実態は、より詳細に検討されるべきである。
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