研究概要 |
780年,唐の徳崇建中元年,安史の乱とそれにつづく節度使の反乱によって崩壊した租庸調制をやめ,両税法を創設した。この税法は,以後,明の一条鞭法施行まで,約8世紀間,正税として行なわれたため,この成立過程の研究は多いが,諸志意見まちまちで,未だ定説をみない。その理由の一つは,すでに自明のことのように理解されている租庸調制について,体系的研究が不充分であることになる。本年度は,過去に発表して来た唐の賦復制度について,再検討し,あわせて,隋煬帝のとき齋せされた婦人・奴婢・部曲の課について考察した。 唐の編戸の移動を概観しても,租庸調制時代は葺地が中心で,両税法時代,江南にその経済政策の重心が移されたことは,容易に察せられる。しかし,そのことは漠然とそう思っているだけのことで,それが両税法の性格の上にどうあらわれているかについて,徹底した考察がなされていない。そこで本年度は,庸和の真観時代の中に続き,盛唐開元時代・天宝時代の戸口税計,安史の乱後,元和時代の戸口税計を整理し,表を作成した。州別編戸の移動をみると,唐が安史の乱後,つぎつぎにうって来た経済政策の意味がみえて来る。そこで,それをよりよく理解するため,パ-ソナル・コンピュ-タ-を使って,図表化する作業をつづけている。もしこれが完成すれば,単上両税法城立史観光に役立つだけでなく,いろいろなテ-マの研究に役立つであろう。
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