本研究の主眼点は、4世紀間以上にわたって国境を接して対峙し続けたロ-マ帝国とササン朝ペルシアの政治的拮抗・相互関係を、紀元三世紀において考察することにある。ただし、第一年目の作業の大半は関係文献の収集に費やされ、残念ながら公表に値する新知見を提示するに至っていない。しかし、広い意味でこれと関わる論文一本を得たので、全体の中でそれが占める位置について言及しておく。まさにこの紀元三世紀に、おりしも両帝国の狭間にあって勢力拡大を遂げようとしていた集団があった。それがキリスト教である。キリスト教は両地域の連結要素となる可能性を秘めて両翼に布教活動を展開してゆく。しかし結果的には、キリスト教的ヨ-ロッパ世界とイスラム教的西アジア世界という、二大地域・二大宗教が分立することとなった。換言すれば、キリスト教は、ヨ-ロッパ世界への発展性の中でのみ活路を見出しえ、中東地域で成長できない限界を内包していたともいえる。国教のゾロアスタ-教に必ずしも固執しなかったササン朝の宗教政策を考慮に入れる時、中東世界でのキリスト教不振は一層際立つ。しかし他方で、両大国が恒常的対抗関係にあったため、一方におけるキリスト教国教化が他方でのその排除を不可避にしたという政治力学的主張も説得力があり、これらを複眼的に見据えてゆく必要性がある。その意味で、ちょうど狭間のパレスティナで活躍した歴史家エウセビオスの歴史叙述を通じて、時代や思想状況を把握することは意味あることといえよう。興味深いことに今回の論文によって、彼の史料操作の手法には十九世紀近代ヨ-ロッパ歴史学のそれと著しく似通った批判的精神があって、その先取りとさえいえる質を有していることが明らかになった。その意味で、近代に確立するキリスト教的思考枠の原型を逆にエウセビオスに遡り、彼に西欧的要素の萌芽と共通の基盤を見ることも可能だといえるのである。
|