研究概要 |
本研究の主眼点は、紀元3世紀に国境を接して対峙し続けた当時の二大超大国、ロ-マ帝国とササン朝ペルシアの政治的拮抗関係を考察することにある。本年度はいささかの進捗をみることができたものの、昨年度同様関係文献入手に主力が注がれているので、めざました新知見を提示するには至らなかった。とはいえ、昨年来の研究書探索作業が軌道に乗り比較的順調に作業を進めることができた。とりわけ、古本でのR.Ghirshman,Bichapour,2vols.,1971の偶然の入手と、M.H.Dodgeon & S.N.C.Lieu(eds.),The Roman Eastern Frontier and the Persian Wars AD 226ー363,1991の発刊は、本研究にとって実にタイムリ-だった。特に後者によって、我々の視角が欧米でも重要テ-マになっていると確認できたこと、これまで手が届かなかったアラビア語・ペルシア語・シリア語史料が英訳により手軽に利用できるようになったこと、さらに新たな文献の知見も得られたことで、研究進展に大きな弾みとなったことが特筆される。こうして本科研の中間報告的な内容を、1991年11月24日の上智大学史学会大会西洋史部会で「皇帝ウァレリアヌスのペルシア捕囚をめぐる一考察」として口答発表した。これは、1936/39年にナクシュ・イ・ルスタムで発掘の『神帝シャ-プ-ル業績録』のうち、とりわけ第3次対ロ-マ戦(260年項)の記述箇所を、ロ-マ側史料のギリシア・ラテン語文献と比較分析し、その結果、これまで戦勝記念碑文という性格のゆえに史料的価値低く評価されがちだった『業績録』の記述内容に、少なくとも第3次対ロ-マ戦に関してはロ-マ側史料とまったく相違が認められないことが確認された。この評価は当然、第1・2次対ロ-マ戦に関する『業績録』の記述部分にも及んでくるはずで、『業績録』全体の史料的信憑性確認のため、実に効果的な援護となったといえる。
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